2025-01-29

本好きの下克上 第5部あらすじ

本好きの下克上 第5部あらすじ

第五部 女神の化身

第五部ではフェルディナンドがいなくなった
状態で奮闘するローゼマインの姿が語られる。

粛清が前倒しになり、貴族院では旧ヴェローニカ派の子供たちが名捧げを
強要されることになる。神々のご加護を受ける実習でエーレンフェストの学生が多数の
神々のご加護を受けたことで、神事の重要性が見直されることになる。

そこでダンケルフェルガーと共同研究を行うことになるが、レスティラウト
諍いになりローゼマインと婚約を賭けてダンケルフェルガーと嫁取りディッター
を行うことになる。卒業時の奉納舞で起こったアクシデントにより、
ディートリンデが次期ツェント候補であると中央神殿が発表してしまう。

エーレンフェストに戻ったローゼマインに待ち受けていたものは、
上位領地としての地位や立場についていけない領内の貴族の大人たちの姿だった。

王族の要請により貴族院の図書館の古い資料を調べているうちに、
ローゼマインこそが最も次期ツェントに近い存在であることが判明し、
ジギスヴァルト王子との婚約を強要される。交渉の末、
1年の猶予を勝ち取ったローゼマインたちはその間に領内改革を進め引き継ぎを終える。

4年生の貴族院で神事を行ったローゼマインは、始まりの庭で出会った
エアヴェルミーンに呼ばれた育成の神アーンヴァックスの力で成長が止まっていた
肉体を強制的に成長させられる。

これによりローゼマインは本来の年齢に相応しい姿に育つと共に
真のグルトリスハイトをも授かるが、その際にフェルディナンドが少年時代に
グルトリスハイトを得て本物のツェントの資格を有しており、
ユルゲンシュミットの礎を満たして世界を守る役割を背負っていた事実を知る。

だが腐敗した王族を嫌っているために自分に反発ばかりして役割を果たそうとしない
フェルディナンドにエアヴェルミーンは苛立っており、彼を殺してお前が代わりに
それを果たせと命じられるも拒絶。

エーレンフェストに戻ったローゼマインは領内の貴族とともにアーレンスバッハからの
侵攻に備える。

ディートリンデがフェルディナンドに毒を盛った上でランツェナーヴェと組んで
中央に侵攻し、同時にゲオルギーネがエーレンフェストへの侵攻を
開始したことを知ったローゼマインは、フェルディナンドを救出するために
ダンケルフェルガーの協力を取り付けてアーレンスバッハに逆侵攻をかける。

このアーレンスバッハの一連の反逆行動にはユルゲンシュミットの外の世界に
あるランツェナーヴェの意思が関わっており、アーレンスバッハは利用されているに
過ぎなかった。

ランツェナーヴェと組んでいたアーレンスバッハを打倒し全ての戦いを終わらせたが、
その過程でアーレンスバッハの礎を染めてアウブとなってしまう。

また女神メスティオノーラを己の身体に一時的に降臨させ、
ユルゲンシュミットの礎を満たすために神々によって身体に莫大な神力が
注ぎ込まれた事によって、女神メスティオノーラの化身とも呼ばれるようになる。

真のグルトリスハイトを所持し神力をも宿すことで王族より上位の存在となった
ローゼマインは、もはや神々の求める役割を果たせなくなっていた
王族を更迭すると共にエグランティーヌを新しいツェントに選出。

ユルゲンシュミットの新体制を構築した。
だが人の身では宿す神力に長期間は耐えられず早く消費してしまわなければ命が
無いという危機にも陥る。

フェルディナンドと共にこれを解決したローゼマインは、
彼と婚約してアーレンスバッハの正式なアウブに就任。

自らの領地となったアーレンスバッハをアレキサンドリアと改名して
図書館都市建設に邁進。

また領地に家族を呼び寄せる事でかつての契約を無効にした彼女は、
領主としての政務の傍ら、休みの時には家族の所に出向けるようになり
マインであった頃の日々も取り戻した。


本好きの下克上 第4部あらすじ

 本好きの下克上 第4部 あらすじ

第四部 貴族院の自称図書委員

第四部では、貴族院へ進学したローゼマインが図書館の魔術具を再生し
図書委員を自称したこと、派閥の対立を越えて領地の生徒たちを協力させ
敵対派閥の子供たちから信用を得たこと、

他領地の貴族や王族と交流を持ったこと、また、王の権力の源泉である
聖典グルトリスハイトが失われており新たな政治紛争が起きうることや
領地間の対立などが語られる。

フェルディナンドはローゼマインとの家族としての強い絆を得ていたが、
第四部の結末では対立する領地アーレンスバッハへ婿入りせよとの
王命が下り、二人は離れ離れとなる。

毒薬を飲まされ目覚めなかった二年間で成長した兄ヴィルフリートと
妹シャルロッテに戸惑いを感じながらも貴族院へ入院するための教育が
施され、無事に入院するも王族や他領の領主候補生に嫌味を言われてしまう。

図書館へ早く行きたいローゼマインにヴィルフリートの提案で初日の
講義で全員合格を目指すこととなった新一年生。

努力の甲斐もあり初日全員合格をもぎ取り図書館に入ったローゼマインは
喜びのあまり多大な祝福を振りまき王族専用の魔道具シュバルツと
ヴァイスの主となるも、王族から奪ったと言いがかりをつけられ他領と
問題を起こしてしまう。帰還命令が出されエーレンフェストへ戻る
ローゼマインを待っていたのは養父とフェルディナンドのお説教と尋問だった。

神殿へと戻り神殿長としての仕事をこなす傍ら、印刷業の仕事を本格的に
始めるため様々なことをオティーリエと相談する。

貴族院へと戻り王族と他領とのお茶会をこなし一年目が終わり
ローゼマイン式魔力圧縮の講座を終え、祈念式を各地で行う中、
聖典の通りに行うことで今以上の効果を発揮することが判明する。

二年目の貴族院でもローゼマインはシュタープを神器へと変化させ、
回復薬の調合と優秀な成績を収め昨年同様、初日全員合格の快挙を達成する。

魔石採取の途中、魔獣に襲われ退治するも採取場所が荒れていることに
気付き再生の儀式を行ったローゼマインに帰還命令が下される。

養父から祈念式で行った儀式が聖典とどう違うのか調べるよう命令される中、
採取場所で行ったことを聞くため呼び出され聖典の問題にまで発展する。

王命でフェルディナンドがアーレンスバッハのディートリンデに嫁ぐよう
下されエーレンフェスト内は困惑する。

そんな中、エーレンフェストの神殿からローゼマインとフェルディナンドを
恨む貴族一派により聖典が盗み出されてしまう。


本好きの下剋上  第3部 あらすじ

 本好きの下剋上  第3部 あらすじ

第三部 領主の養女

第三部でマインは、貴族としての偽の身分とローゼマインの名が与えられ、
領主の養女になる。神殿長を務め、印刷業やレストランを経営する
傍ら領主家族とのふれあいや問題に向き合っていく。

また、虚弱体質を治せる魔法薬ユレーヴェを知り、素材を求めて冒険する。
最後には陰謀で命を落としかけ、二年の眠りにつくまでが語られる。

フェルディナンドの診察により幼少時にマインが一度死んだことが明かされ、
それによる魔力の塊を治すために特殊な魔法薬ユレーヴェが
必要だと知らされる。

素材を採取する一方で、神殿長として仕事をするも前神殿長が残した
問題と向き合っていく。

兄ヴィルフリートに絡まれ一日入れ替わることを提案しヴィルフリートは
ローゼマインが神殿長、孤児院長、工房長の仕事を平然とこなすことに驚き、
ローゼマインはヴィルフリートがかなり甘やかされてきたことに驚き、
それを改善させようと躍起になる。

冬になり貴族の子供が集まる子供部屋で聖書をかみ砕いた内容の絵本や
かるたによる反応は上々で購入する貴族がいる中、購入できない貴族には
ローゼマインが知らない物語を提供することで貸し出されることが
決まり喜ぶ子供がいたことに安堵する。

春になり前神殿長の姪かつ領主の姉ゲオルギーネの来訪で領主夫婦に
緊張が走るも問題は起こらず過ぎ去って行く。

秋の素材採取でダームエルに教授した魔力圧縮がエーレンフェストに
必要だと領主の口から語られ、魔法薬の製作を優先することを条件に
教授すると、大人でも有効であると太鼓判を押される。

妹のシャルロッテとお茶をしていると飛び込んできたヴィルフリートに
中断されひと騒動となる。

シャルロッテの洗礼式にシャルロッテが誘拐されかけるもローゼマインが
体を張り救出する。

しかし、毒薬を飲まされ生死の境を彷徨う。
フェルディナンドはマインを魔法薬ユレーヴェに浸らせ治癒のための
眠りにつかせる。


本好きの下克上 第2部 あらすじ

 本好きの下克上 第2部 あらすじ

第二部 神殿の巫女見習い

第二部では、神官長フェルディナンドに庇護され神殿で貴族のように
遇されるマインが、印刷技術を開発して本作りの集団グーテンベルクを
結成したことと、愛する家族を陰謀から守るために絶縁して領主の養女と
なったことが語られる。

マインが入った神殿は、貴族の血筋の青色神官、巫女と孤児出身で青色に
仕える灰色神官、巫女による身分社会だった。

平民でありながら青色巫女見習いとなったマインは神殿内部や貴族から
敵意を受けるが、マインの能力を認める神官長フェルディナンドに擁護される。

マインは工房長として印刷技術の確立に動き、また、高い魔力を大勢に示した
ことで、その能力、知識を独占しようとマインを拉致する企みもあった。

フェルディナンドはマインの身を案じて貴族との養子縁組を斡旋する。
しかし、前世での母との薄い関係を悔いたために今世での家族を大切に思う
マインにとって、養子縁組は受け入れがたい選択だった。

マインの周囲の大人は、マインを守るために協力するが防ぎきれず、
貴族の害意は家族にも向けられる。

第二部の終わりでは、印刷技術の革新性を理解した領主ジルヴェスターが、
マインに偽造された身分を与えた上に自身の養女とすることで、
マインとその家族の安全を守る。そのためにマインは愛する家族との
絶縁を余儀なくされる。


本好きの下克上 第1部 あらすじ

本好きの下克上  第1部あらすじ

第一部 兵士の娘第一部では、平民の娘マインが幼馴染の少年ルッツと
紙を発明した後、神官長フェルディナンドと出会い巫女見習いとなるまで
が語られる。

マインはこの世界で麗乃の意識を持ってから大好きな本を探すが、
紙がなく、羊皮紙による本も高価であることを知り、本作りを志す。

マインは病弱で家族も貧しく紙を作るための材料集めにも不自由するが、
現代知識を活かして身の周りを改善するうちに、ルッツと親しくなる。

マインは商人を志すルッツを助けるため、ルッツと共同で植物紙を
開発することを大商人ベンノに提案する。

ベンノは平民離れした身綺麗さと年齢不相応の知識を持つマインに特異性を
見出し、マインとルッツの工房に出資し、商人見習いとして教育する。
以後、ベンノは二人のために親身でありつづける。

紙は完成したが、マインは自身が身食いと呼ばれる病であることが分かる。
身食いの症状で死にかけたマインはベンノが手配してしたフリーダ
壊れかけの魔術具を譲り受けて何とか命をつなぎ止めた。

フリーダはこのままではマインの余命が1年ほどであり、
譲れる魔道具はもうないため、貴族に服従を強要されて生き延びるか、
家族と一緒に暮らして死ぬかを選択するように告げるが、
家族で話し合って朽ち果てることを決めた。

洗礼式で神殿に図書室があることを知ったマインは本を読むために
巫女見習いになることを決めるが家族の反対にあう。

神殿に断りを入れるも、神殿に自身が身食いであることを知られてしまう。
神殿に両親が召喚され、神殿長にマインの身柄を召し上げられそうになるが、
マインの家族が命をかけて抗議し貴族と同等の青色巫女見習いと遇される
とともに自由な身が保証される。


2025-01-28

互恵で栄える生物界

 互恵で栄える生物界

まえがき
 
はじめに──私たちはダーウィンの洞察を誤ったやり方で世界にあてはめていないだろうか   
 
楽観的でいる以外に選択肢はない植物と土壌微生物の互いに生命を与え合うパートナーシップ

科学は

人間が自然からの収穫の限度を理解する道具

 

もう何年も前になるが、私はオハイオ州クリーブランドのマレーヒルに近い画廊で、数人の男性と多くの女性が集まったグループに加わったことがある。その日の夕方、ジャーナリング(訳注/頭に浮かんだ考えや思いを言葉にして書き出すこと)をしてそれぞれが感想を述べながら、楽しくおしゃべりをする会が予定されていたからだ。

私はもともと引っ込み思案だし、当時は今よりもっとその傾向が強く、どうして出席することになったのかはまったく思い出せない。その集まりの詳しいことも、ほとんど覚えていない─レゴブロックを並べたようなレンガ敷きの外の通りはいつものように氷で滑りやすくなっていたのか、家ではまだ小さかった子どもたちが私の帰りを待っていたのか、どうにも思い出せないのだ。

ところが、進行係の言葉に従ったある場面だけは、今でもまだ鮮明に私の記憶に焼きついている。参加者全員が膝をつきあわせて床に座っていると、進行係の女性が私たちに向かって、まず部屋全体を見回して目についた青いものすべてを記憶するようにと言った。青いものはたくさんあったから、私は大急ぎで見つけては、ひとつずつしっかり頭に刻み込んだ。それから目を閉じ、進行係からの次の指示を待った。

すると思いがけないことに、その指示は部屋にある黄色いものをひとつあげるようにというものだった! 思い出す限りでは、そのとき黄色いものをあげられた人は─もちろん私も含めて─ひとりもいなかった。全員が青いものばかりに意識を集中していたせいだ。そのために黄色いものは、他の緑や紫や赤のものと一緒に背景へと姿を消していた。私たちが注意を向けなかったことで、まったく見えなくなっていたのだった。

楽観的でいる以外に選択肢はない

この課題は、進行係がその日に伝えたかったテーマのひとつを明確にする役割を果たした。つまり、人がしっかり焦点を合わせようと心に決めたものだけが、その人の世界観を表わすだけでなく、その人が世界で進むべき道をも示してくれる。そして私は自分の人生の紆余曲折を経験するにつれ、なかでも恐怖や絶望に打ちひしがれたとき、その考えが貴重だと思えるようになった。

たとえば最近のパンデミックのさなかには、イヌを連れて散歩しながら探すのを忘れさえしなければ、小さいながらも気晴らしになるさまざまな光景に出合うことができた。歩道に古びた文字を書いたように生えているコケ、低木の茂みに住み着いた賑やかなヤブガラの群れ、クルクルした巻き毛にしか見えないカバノキの樹皮。他の人たちからきちんと2メートルのソーシャルディスタンスをとって歩く人々に、手をつないで近くを散歩するカップルの姿。夏と秋の間じゅう、自宅前の芝生でロウソクをともしながらささやかなパーティーを開いていた隣人たち。道をはさんだわが家の向かいにある小さな公園にコントラバスとバイオリンを持ち出して、いつも一時間だけ演奏していた若い音楽家のグループ。自らも災難に見舞われながら、もっとひどい目に遭っている人たちを力いっぱい支援しようと夢中になっていた人々。すばらしいフレッド・ロジャース(アメリカのテレビ番組の司会者、別名ミスター・ロジャース)が9.11の1年後に、「助けてくれる人たちを探そう」と言った通り、助けてくれる人たちはとてもたくさんいた。

私は生まれつきの楽観主義者で、その性格は優しい父から譲り受けたものだ。実のところ、自分はただ頭が悪いだけなのではないかと心配もしていたが、活動家で大学教授のアンジェラ・デイヴィスによる次の言葉を読んでほっとした─「私は楽観的でいる以外に選択肢はないと思っている。楽観主義はぜったいに必要なものだ。たとえそれが楽観主義への願望にすぎず……頭の中では悲観主義だとしても」。

とはいえ、つねに楽観主義を保つのは難しい。私も他の人たちと同じように(たぶん読者のみなさんも同じだと思うが)人間が周囲の自然界を傷つけているという紛れもない、増える一方の証拠にうろたえ、私たち人間にはもうそれをなんとかしようという気持ちなどないのではないかと恐れてしまう。何しろ政治も文化も、最もひどいやり方で衝突を続けるばかりなのだ。

私は前著『土は私たちを救う(The Soil Will Save Us)』執筆のために、傷ついた農地を回復させる方法を見つけようと奮闘する農場主、牧場主、科学者などに会って楽観主義の源泉を見出しはしたものの、多くの人が思っているように世界が欲張りで執拗で身勝手なものだとしたら、平凡な環境保護のヒーローが増えるだけで十分なのだろうかという疑問が浮かんでくる。

植物と土壌微生物の互いに生命を与え合うパートナーシップ

ロサンゼルスで開催された2015年都市土壌会議でカナダの森林生態学者スザンヌ・シマードが話すのを聞いたのは、それからまもなくのころだ。彼女はこれまで30年にわたって研究を続け、森の中の樹木やその他の生物が、私たちの目には見えないところで協力していることを明らかにしている。

私はちょうど『土は私たちを救う』を書いている最中だったから、植物と土壌微生物の互いに生命を与え合うパートナーシップを知って感動した。実際には、植物がただ土から栄養物を吸い尽くしてジャンクスナックのような滋養分のないものに変えてしまうのではなく、土中にいる無数の微生物とつねに持ちつ持たれつの関係を維持していると気づいたのは、最も思いがけない発見だった。

その会議でシマードは、こうした実りあるパートナーシップは森林全体にわたって広がり、地中に網の目のように張り巡らされた広大な菌類の集まりから力を得ていると話した。私はそれを聞いてワクワクしてしまい、思わず椅子から立ち上がりそうになったほどだ。

その年にポートランドからはるばるバンクーバーまで車で出かけ、シマードと彼女の学生たちに会うことはできたが、同様の見識をもつ別の研究者とランドスケープ(訳注/ひとまとまりの生態圏を包み込んだ景観)を見つけるにはさらに数年もの時間がかかった。

そしてそれらが増えるにつれて、私は書く価値があるものをしっかり理解できたように感じた。たいていの人は学校の理科の授業で習ったことなどほとんど忘れているだろうが、ずっと頭に残っている概念もいくつかはあるだろう。

「適者生存」もそのひとつにちがいない。チャールズ・ダーウィンは、40億年近く続いてきた多くの試練になんとか勝ち残った者たちが、現在、私たちのまわりで生きている種だと結論づけている。

つまりすべての生き物は、資源を手に入れ、食うか食われるかのさまざまな危険を乗り越えて、繁殖に成功することを目指し、その目的を達成するために大昔の祖先から脈々と受け継がれてきた変化の頂点に立っていると考えたわけだ。

そして他の思想家たちもダーウィンが出した結論に飛びつき、競争の概念を生物学の野蛮な創造者に祭り上げた。それからというもの、競争が支配するという考えが私たちの集団脳にとどまり、離れなくなっている。進化論を否定している人も、その仕組みをよく思い出せない人も、詩人テニソンが嘆き悲しんだ通りに自然は「歯と爪を(血で)赤く染めている」と考えてしまう─生き物は乏しい資源をめぐり、凶暴で終わりのない生存競争を繰り広げているとみなしているのだ。

科学者さえも、その多くは自然界でどれだけ広範囲にわたって助け合いの交流があるかを理解していない。「今の生態学者たちは、生命体ははじめから互いに競い合うようにできているというパラダイムの中で育ってきたのです」と、生物学者のリチャード・カーバンは私に話した。

「植物などの生命体がどれだけ緊密に協力し合っているかを知って、驚く生態学者がたくさんいますよ。彼らは自分たちの研究で、協力を見出そうなどとは思っていませんから」。その結果として、人は自然をゼロサム・ゲームとみなすようになったらしく、私たちが(人間だけでなく、カラス、イトスギ、侵入性のニンニクガラシなど、あらゆる生物が)何かを手に入れたとき、そのすべては他の生き物や共有された環境全体を犠牲にした結果なのだとみなしてしまう。この見方に従うと、私たち人間の数が増え続けるにつれ、残念ながら世界の残りの部分は苦しむことになる。

けれども、もし私たちがダーウィンの洞察を誤ったやり方で世界にあてはめ、自然界に存在している寛容さと協力関係を見落としているとしたらどうだろう。シマードの研究を知って、私はそう考えはじめた。そしてもし私たちが、もっと広い世界の寛容さと協力関係を知らずにいれば、自分たち自身の調和のあるつながりをも見落としてしまうだろう。

もちろんそれは、私たちが自然の一部だからだ。私たちは、周囲の自然との複雑で創造的で活気に満ちた関係に支えられ、自然の一部として存在しているからこそ、生きることができる。わが家の玄関近くの木でくつろぐアライグマや道路沿いに生えた雑草と、まったく同じだ。

異なる種や同じ種の間の協力関係が自然界を支え、大いに繁栄させていることを、もし私たちがしっかり理解すれば、その行動はどのように変化するだろうか? 私があの画廊で青いものを探すよう指示されたように、もし私たちがそうした協力関係を探すとしたら?

そうすれば、自分たち人間は搾取者、植民者、破壊者などではなく、相棒として手助けをする立場にいて、より大きな、互いに与え合う仕組みの一部だとみなしはじめることができるだろうか?

科学は人間が自然からの収穫の限度を理解する道具

現代の科学の最良にして最も重要な使い道とは、自然がどのように機能しているかを見つけ出すこと─この本で私が話を聞いたすばらしい科学者たちの多くがそうしている─そして人類が自分たちの行動を変え、これまで自然に対して加えてきた傷を癒やすとともに、これ以上の傷を与えずにすむよう手助けすることだと、私には思える。そうすれば、世界が繁栄するようにとの願いに希望を与え、支援することができる。

もちろん私たちはその恩恵を受けることになるだろうが、それだけが目的ではない。人間以外の生き物も私たちと同じように繁栄する権利をもっていて、人間によって利用されるために存在しているわけではないからだ。

昔の文化が自然界での自分たちの居場所をどのように考えていたのか、そして人間が必要とするものと他の生き物が必要とするもののバランスをどう保っていたのか─そうしたことから学んでいる科学者は大勢いる。もし私たちが周囲の自然を破壊するのではなく尊重することを学べば、私たち自身ももっと寛大になり、互いに成長を促し合うようになるだろう。

「ムーブメント・ジェネレーション・ジャスティス・アンド・エコロジー・プロジェクト」の活動家であるゴーパル・ダヤネニは、次のように言っている。「あなたが人間に対してすることは、土壌に対してすることであり、あなたが土壌に対してすることは、人間に対してすることだ。これは、陸上で暮らす数多くの先住民の伝統に共通した概念になっている」

私たちを取り巻く自然との、こうした敬意に満ちた絆を最もみごとに表現していると思われる人物は、ネイティブ・アメリカンの植物学者で作家のロビン・ウォール・キマラーだ。

とにかく、私は彼女の著作と記録に魅了されている。人間は生きるために自然から奪わなければならないが、それが正当な収穫であることを確かめなければならないと、彼女は言う。

最初の植物や動物、最後の植物や動物を奪ってはいけない。許可を求めなさい─世界は物惜しみせず、創造力に富んでいるとはいえ、ときにはノーと答えることもあり、科学はその限度を理解するための強力な道具になる。与える害をできる限り小さくとどめなさい。そして感謝の気持ちを忘れずに、分け合い、お返しをしなさい─私たちはもらったものに報いる方法を学ぶ必要がある。

人間はあまりにも多くのものを手にしながら、たいていは十分な敬意を払っていない。海で魚をとったり畑でトマトを育てたりするとき、大草原や森から土地を奪って家を建て町を作るとき、都会や農地に水を引くとき、他の人の労力や信頼を利用するとき……すべてが敬意を払うべき機会だ。この本では、人間社会とその周辺で生き物と生態系を団結させるような協力関係を、そして互いのためになる結びつきの機会を、探していこうと思う。それは感動を呼び起こす科学になるにちがいない。

だがこの本で最もワクワクするのは、周囲の自然が私たちから何を必要としているかについての新しい知見に基づき、多くの人が実際にどう行動しているかを目にする部分だと思っている。それらの人々は、生き物の世界と手を結ぼうという決意、この使命を果たすために互いのパートナーになろうという決意をして、荒涼とした光景が私たちに共通の運命などではないことを示している。


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